元日プロ大会のキャスティング〜サプライズとガッカリと〜

元日のプロスポーツマン大会。放送に辺り、ファンが一番注目していたのはズバリ「誰が出るのか?」だったと思う。
宮大輔のような出場時無名からスターになるドラマを楽しみにする人もいただろうが、やっぱり知っている人が出る方がテンションが上がるもので、放送日や事前特番などで正式発表される時をソワソワと待っていたものだった。

当時はSNSなどというものがなく、知る術としてはテレビ雑誌と番組・選手の公式ホームページくらい。
まずは月刊テレビ誌のラテ欄で放送日と出場予定選手を把握。次に出場予定選手を検索して公式ホームページチェック。そして直前に発売の週刊テレビ誌でほぼほぼメンバーの確定とするというのが芸能人大会含めて毎度の通例だったのだ。

このラテ欄に記載されている出場予定選手というのが曲者で一部、出ていない選手も載っていることも多々あったため、大物選手の名があっても「本当かよ」と思ってしまう事も毎年のようにあった。
今回はそんな元日大会のキャスティングを調べてきて僕が感じた事、実際に放送を見て思った事などを2003年から2009年まで。思い出して以下に記しておきたいと思う。

2003年

情報を調べ始めた最初の年にして一番のスカシを喰らったのがこの年。何しろ当時放送されていた「体育王国」の公式ホームページ。TBS公式記載の情報が殆ど違うという事態があったからである。
ここにも記しているが載っていた14人中、実際に出場したのが6人しかいない。

更に清原和博とアレックスが前に出たときの映像、吉田秀彦とボブ・サップの試合映像を繋ぎ合わせたCMも流れていたものだから本気にした人もいたかもしれない。本当に出場していた選手はその道のトップである事は間違いないのだろうが正直、ハードルが上がりすぎてガッカリ感は否めなかった。

2004年

昨年の事もあってか「黄金筋肉」公式ホームページには出場確定のメンバーが記されていた。前回出なかったボブ・サップの参戦は嬉しかったが、放送日前日の大晦日で戦ったも出るのには驚いた。オープニングで共演していたのだが、実際どんな収録だったのだろうか。格闘技好きとしては団体が違っていたサップと吉田秀彦の共演も新鮮だった。

ケイン・コスギが2年ぶりの出場だったが、前回大会の番宣内容が過去10年のプロ大会を振り返る内容に対し、ケインの存在がスルーされていたのに違和感があった。どこか番組との距離が出来つつあったかと勘ぐっていた。

2005年

一部雑誌で野村忠宏の名前も載っていたが出場せず。6年連続出場していた河口正史が自身のブログで不参加表明にショックを受ける中、番宣で出場者リストを確認。

響いたのが小比類巻貴之レイ・セフォー赤田将吾(ケインが優勝した回に出てた人として名前は知っていた)。そして一番のサプライズはボビー・オロゴンだった。
元々からくりTVの格闘技挑戦企画から見ていて「出たら面白そうだな」と思っていたがプロ大会から初出場とは予想外。出るなら芸能人大会からだろうと思っていたので飛び級の感はあった。で実際に見てみると。。ある意味11年目にして現れたニュータイプの選手だった。

あと「昨日、見事な勝利で格闘技デビュー戦を飾った」というナレーションもあったが、あれは小林清志さんをお正月に呼んで当日撮りしていたのか、それとも事前に負けバージョンと2つ撮っていたのか。ちょっと気になる。

2006年

多村仁の公式ブログでなかやまきんに君亀田興毅の出場を確認。きんに君はプロ大会出て欲しいと思っていたので「やったね!きんに君!」と勝手に嬉しい気持ちになって、コンビニでテレビ雑誌を確認するとワッキーの名前もあるでないか。でも同時に載っていた集合写真を見るとワッキーがいないのである。「アレ?」と思ったけど、待て。ヨー・ホンチュルモーガン・ハムもいるぞ!?と。
更に名前があったサップに千代大海琴欧州もいない。集合写真を見ても出場選手も確定できないのかと直前まで全選手が把握できなかったのを覚えている。

で、明らかになった内容は本戦とパワーバトルの基本2部構成。ワッキーは別会場(別日収録)で出場。この時のワッキーはとにかくこういう競う系の番組に出まくっていた印象がある。
亀田、モーガン、ヨーは総合ランキングの対象外という珍しい扱いだった。2年前の総合2位、里見恒平は本戦じゃないのと。

千代大海と琴欧州は本当に出た。普段は浴衣でテレビに出ている力士のスポーツウェアは新鮮だった。TBS公式の予定選手一覧にはチェ・ホンマン、セーム・シュルト、高見盛の名前もあった。ホンマンとシュルトは手を伸ばしただけで3mは稼げるだろうから、THE GALLON THROWは期待できたかもしれないが。。。あと同じく一覧にあった中田浩二もなし。サッカー勢は初期ほど出なくなった。天皇杯やクラブW杯の影響だろうか。

そしてオープニングの選手入場で一列に並んだ本戦出場選手に別日収録のパワーバトル選手とワッキー&須藤元気合成で一緒に並ばせる荒業を繰り出してきた。それ出来たら見せ方として何でもアリやんと仰天した記憶。

2007年

テレビ雑誌を見ると先にパワーバトルの収録を済ませていたのか朝青龍のTHE TUG-OF-WARの写真が載っていた。遂に横綱来るかと思いつつ、一緒に名前があった琴欧洲佐々木健介はパワーバトルだろうと判断できた。
一番驚いたのは永井大の参戦だった。ブランクが2年以上空いていたし、復帰の場がプロスポーツマン初出場。大丈夫かと思っていたが全くの杞憂だった。永井自身の出場回数が少ないのと、この頃はドラマでもよく見るようになってたのもあり失礼ながらその存在感を忘れていた。総合5位。天晴。

で、前回繰り出した荒業、合成テクがレベルアップ。オープニングの選手入場。最初に王者の宮が入場すると後ろから朝青龍(別日収録)が出てくるのである。更に後ろから同じく別日収録の力士達がぞろぞろと入場。恐らく、実際の収録はそれぞれ間隔を空けながら入場・整列させたのを合成させたのだろう。

あとSASUKEに出ていたポール・A・テレックは予想していたのでチョット嬉しい。元々この番組開始当時の案が十種競技モチーフだからそりゃ強いはずだよね・・・。

2008年

自分と同じようにチェックしていた人は皆、思ったかもしれないがロナウジーニョの名前があって「ホントか!?」と。またスカしだろ?と思ってたら本当に出場という事実。

しかも本人の要望でセット一式をブラジルに輸送、現地のテレビ局に機材協力を要請する大掛かりな準備の末に放送された内容を見る。まずはMONSTER BOXで仲間たちとワイワイやって、本番の9段成功後「次、あれやってみようか」。ラウンドワンか?
SHOT-GUN-TOUCHでようやく本気になりかけてきたかと思ったが記録12m00cm。正直、現場のスタッフも取れ高どうしようと思ったかもしれない。

そして後日発表された視聴率は番組史上最悪の9.8%を記録。視聴率に陰りが見えているのは知っていたので、嫌な予感が過った。思えばこの2007〜2008年に掛けては制作側も芸能人チャレンジバトルや新種目とマンネリ打破に向けて色々試していたのかもしれない。

本戦に関しては吉田は相変わらず強い、ワッキー大健闘というのとオートレース界から田中茂が初めて出場したが、報を聞いて「森(且行)くんじゃダメなの?」と思ったのが率直なところ。

2009年

三沢光晴が出場。2007年辺りから大物選手よりは若手・伸びしろある成長株的な人が抜擢されるイメージがあったが、これ程の重鎮、ビッグネームの参戦は驚かされた。今思えば体調は首負傷だけでなかったのだろうが、MONSTER BOXの11段を超えた後に前転するその身軽さに唸らされた。実況で「これは貴重な映像になりそうだ」とあったが、本当にその通りになってしまうとは。。。

松永共広は前年のSASUKEで1stクリアしたので知っていた。本田武史は確か高橋大輔のコーチだった記憶。
宮が総合3連覇を達成したこの大会の最期のナレーションは「永遠の金字塔」。前の年に抱いた不安が現実になっている気がした。

モンスターボックス公認記録会

この回は出場者一覧が番宣で出ていたのだが「SASUKEオールスターズがスポーツマンNo.1決定戦に出たらどうなるのだろう」という想像を現実にしてくれた大会。
新王座チャレンジバトルの予選でもあるバスツアーで敗れた松雪オラキオ武田テキサスが晴れて出られたのも良かったが、池谷幸雄は重くはなっていたが17段成功は流石。薬師寺保栄は初期設定が自己新記録なのは酷だった。別番組の血液検査企画で不健康イメージのあった金村義明は意外や健闘。

池谷直樹の敗北、大山大和が勝利で世代交代かと言われながらこれが最後の大会に。最終回の告知もなくその後は入れ替わるようにSASUKEが元日でやるようになった。
番組ではこの番組+筋肉番付の総集編も併せてやっていたが、やはりケインは出番が少ない。そして筋肉番付と一緒にやるという事は「筋肉番付シリーズそのものの終わり」を意味していたのではという気もし始めていた。けど当時のVTRを振り返っていた工藤公康(当時福岡ソフトバンクホークス監督)が「復活してほしいな」と話していた事にフラグの望みを立てていた。

そしてこの翌年、マッスルパーク閉園。マッスルミュージカル解散。これらと番組制作をやっていたMonster9が自己破産手続きスタート。2012年に消滅ーー

全体振り返って

プロ大会を毎年振り返るとこのような感想。芸能人大会はテレビ雑誌に集合写真があらかじめ載っている事が多く初出場選手が少なかったため、出場選手の判別がしやすかった。逆に失礼ながら知らない人がいた時はメモに「他〇人」と書いたりしていたのも思い出した。

大体、2002〜2004年辺り。僕が中学から高校に上がる辺りはテレビが本当によく見られていて、学校でも「アメフトの河口が〜、きんに君が〜、池谷が〜、大畑が〜」なんて話題になってた(地元が北海道だったので当時コンサドーレ札幌の小倉隆史も話にあがってた)。
大学から社会人になる頃には視聴率が落ちて番組が終わった。学生からの卒業と同時に終わって仕事のみに意識が行くから良かった気もするけど、同じく好きな格闘技も低迷期で娯楽が無くなった時だったなと振り返る。

前に「祭りは当日よりもやる前や準備が一番楽しい」と聞いた事があるが、改編期にスポーツマンNo.1決定戦がやる。誰が出場する。どんなドラマがある。新記録はとかあれこれ予想したり妄想したりするのが好きで、あっという間に過ぎていく放送時間よりも気持ちが昂っていた。

今はSNSが出来て開催前から選手がSASUKEや感謝祭マラソンの本番に向けたトレーニングをする姿を投稿したりするので情報が入りやすくなった。
でもあの時は雑誌や掲示板、限られた情報網でしか得られなかった出場の報の驚き、落胆があった。
スポーツマンNo.1決定戦の激闘の思い出は、毎年コンビニで雑誌を立ち読みしていた懐かしい思い出と共にある。

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